アメリカ・カリフォルニア州で活動する北林美枝さんにインタビュー。
現在はネイル商材ブランド「KUPA」でエデュケーターや商品企画として働くMIEさん。
12年前にアメリカに渡ってから現在まで、ネイリストとして活動されたお話を中心に伺いました。
▼アメリカに渡った経緯を教えて下さい。
地元北海道の高校卒業後、東京の語学専門学校に通い、20歳で渡米しました。
小さい頃からフルハウスのドラマを見て刺激を受けてからずっと「アメリカ人になる」と言っていた程、アメリカに住むことを夢見ていたんです。
3歳から続けてきた事は英会話だけで、どんな仕事をしたい、というより「英語を使った何かをしたい。」という思いが昔からありました。
語学専門学校の時点でTOEFLがレベルに達していたので、ラスベガスの短大に入学しました。
学科は元々接客業や人と話す事が好きだったので「ホテル経営学」「ホスピタリティ」。
ホームステイ・留学経験もなくアメリカ自体も初めての状態で、道が開かれるまま渡米しました。
▼ネイルの道に進まれたきっかけを教えて下さい。
短大を卒業し、4年制大学に進む予定でいた夏休み。
今後の進路について考えるきっかけがあり、元々ホテル業と美容業の両方の選択肢が自分の中にあった事をふと思い出しました。
小学生の事からネイルチップを作ったり、高校生の時もスカルプをサロンでお願いしていたり、ずっとネイルが好きだった事。
ラスベガスの現地のサロンに行っても実現できないデザインが多く、自分の為に学びたいな、と思った事がネイルへの道を考え始めたきっかけです。
当時アルバイトしていたお店のお客様から「ロサンゼルスで日本人がネイルスクールを開いている。」という情報を教えてもらい、1週間後にはロサンゼルスまで見学に行きました。
2週間後にはラスベガスから引っ越し。今思えばこの行動力、若いですよね・・。
そのスクールで1年間、ネイル技術を学びました。
昔から細かい事・キラキラしたものが大好きだったというMIEさん。MIEさんのネイルデザインはアクリルアート・スカルプチュア中心。
▼ネイルスクール卒業後はどうされましたか?
せっかくアメリカに住んでいるので働くのは日系サロンじゃない方がいいな、と考えていた所、当時のバイト先のお客様から紹介をしてもらい、ビバリーヒルズにあるネイルサロンに勤める事になりました。
ここのサロンでは結局4年半働きましたが日本人は私だけ。
スタッフのほとんどがカルフォルニア出身のアメリカ人で、この環境がとても新鮮でした。
ここで学んだことはとにかく「接客力と会話力」。
当時のネイル単価はシンプルなものでも80$前後(日本円¥8,000~9,000)。
ビバリーヒルズの中でも最新技術を売りにしているサロンですが技術レベルはそこまで高くなくとも、接客が上手なネイリストは人気でした。
ネイルサロンで使う専門用語、接客用語、ガールズトーク・・。
スラング(仲間内で使う卑俗な言葉)が分からない事も多くて、とにかく周りの会話を聞く事に徹底しました。
分からなければ何でも質問。
どうでもいいスラングでも教えてくれて、このサロンで一番語学力が磨かれました。
お客様の心を会話力で掴むネイリストは強い事と、自分をアピールするプレゼン力の大切さを学びました。
▼ビバリーヒルズのサロンを退職された後はどうされましたか?
その後はロサンゼルス郊外にある「モンテベロ」という地域でサロンオープンする話があり、マネージャー兼トップアーティストとして転職しました。
採用・メニュー作り・教育など店舗作りにまつわる全てをここで経験しました。
前のサロンで学んだ「ネイリストの会話力・接客力」に力を入れてお店作りをし、3ヶ月でサロンは満席に。
「モンテベロ」はロサンゼルスの中でも田舎の方で、ビバリーヒルズとは客層や雰囲気が全く違い、人種や生活スタイルによって、ネイルの仕上がりに留意する点、好みなども違う事がこの時よく分かりました。
マネージャー・エデュケーター(教育)・トップアーティストとして当時は本当に忙しかったです。
1年半働き、その後自宅サロンをオープンさせました。
▼その後から現在の働き方を教えて下さい。
前サロンにいた時からネイル商材ブランド「KUPA」のエデュケーターも勤めていたので、講師業にも重点を置きたかった事も独立のきっかけです。
自宅サロンを始めるにあたって不安もありましたが、SNSでお客様が見つけて来て下さり、収入はすぐに安定しました。
現在は自宅サロンを辞め、KUPA「エデュケーター部門」にてフルタイムで働いていて、ネイル施術は週1回ほど美容室の場所を借りて接客をしています。
KUPAでの仕事内容は商品商材の撮影、ライブ配信、新商品の開発、ゲストとの打ち合わせなどです。
展示会も数年前はよく行っていましたが、オンライン販売に切り替わることが多く、前より回数は減りました。
▼ネイリストとして並行して講師業を始めたきっかけを教えて下さい。
お客様から「MIEみたいなネイリストを見つけられて嬉しい。」「MIEに出会えたことは奇跡だ。」
と言ってもらえた時に、自分としては当たり前に施術・接客していることがアメリカのマーケットでは当たり前でないと気付きました。
サロンでこんなひどい事をされた、などのホラーストーリーを聞く度に悲しい気持ちになることもしばしば。
私一人のサロンワークでは対応できる人数が限られているので、私が教育してハッピーになるお客様が増えればもっと多くの人を幸せにできるのでは。と思い、ネイル教育に関わっていきたい、と思い始めました。
▼これから渡米したい日本のネイリストにアドバイスはありますか?
日本のネイル技術は行きつくところまで行きついていると思います。
アメリカのネイリストの接客・技術はまだまだ低くサロンで教育できる所が少ないので、教育という観点でも日本ネイリストは需要はあると思います。
技術スキルはもちろん、細かな気遣い、思いやりや人柄、日本人が当たり前にやっている事が評価され重宝されます。
要はビザの問題ですよね・・。(MIEさんは現在グリーンカード)
有名なネイリストさんはアーティストビザも取得できると聞きますが、やはりまずは就労できるネイルサロンを探して働く事が良いかもしれません。
あとはグリーンカードに応募し続ける事!
▼今後のMIEさんの目標を教えて下さい。
いま(2020年4月現在)新型コロナウィルスの影響でカルフォルニアは全ての美容業営業がストップしています。
美容業の二-ズが戻るかも分からない中で、うまく賢く考えないと生き残れないし、ネイルが本当に好きでないと厳しいと考えています。
私は現在、ヨガインストラクター・ヒーリング・エネルギー療法にもなどネイル以外の分野にも興味をもち活動もしています。
ネイルに救われた事も沢山あるので、今後もずっと関わっていきたいと考えていますが人との繋がりや多様性が大事かな、とも考えています。
今後は日本のネイル業界との繋がりを作ったり、アメリカのネイル技術の底上げに力を入れてきたいと思っています。
Instagram 【miekitabayashi】
【インタビュアーより】
オンライン取材でしたが明るくて真面目な人柄が伺え、元気をもらえるとっても素敵な方でした。
ネイルトレンドの中心、カリフォルニアで10年携われたからこその大変貴重な経験談。お聞かせ頂きありがとうございました!
interviewer 久賀田有紀 Yuki Kugata
一般社団法人 海外ネイル協会 代表理事・maninailオーナー
教員在職中にネイルスクールに通い2009年ネイリストに転職。
2015年より1年間パリにてネイリストとして活動。
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