インタビュー

interview13 上海で講師業として活動するネイリスト

上海在住8年、現在はフリーランスでサロンワーク・スクール講師をされている衣笠泰代さんにお話を伺いました。

10代の頃から海外に住むことを夢見て日本でキャリアを積み、あるきっかけから上海移住された事、中国ネイル事情についての話をお聞きしました。


▼日本でのキャリアヒストリーを教えて下さい。

10代の頃から海外移住の夢があり、ワーキングホリデービザでどこかの国に行こうと決めていました。
高校の卒業旅行で初めてハワイに行った時に魅力にどっぷりはまり、短大に進学してからもバイト代をつぎ込んでは頻繁にハワイに行っていました。
卒業後はアパレル会社に就職し、2年働いて退職。
就職してからもボーナスを海外旅行に充てて、漠然と海外が好き、いつか住みたい、とずっと思っていました。
次の仕事は何か将来的にプラスになるところで働きたいと、英会話スクールに就職。
それまで全く英語が話せませんでしたが同僚の外国人の先生たちと仲良くなり、週末はホームパーティをする日々でした。
うまく話したいので英会話の勉強もはかどり、習得が早かったと思います。
そんなこんなで楽しく英会話スクールで働いていると年齢も25歳。
そろそろワーホリに行かないと!と考え始めました。
でもワーホリで海外に行ってどうするんだろう。遊んで帰るだけなら無駄だな。と考えていたところ、通っていたネイルサロンの仕事を見て楽しそうだな、自分でもやってみようかなと思い、働きながらネイルスクールに通い始めました。
スクール生の時に検定を取り、ネイルサロンに転職しよう!と英会話スクールを退職しました。


▼スクール卒業後はどうされましたか?
退職した後はどうせなら大好きなハワイで働こう!と思い1ヶ月ハワイに行きました。
どこのサロンで働こうかな~といろんなサロンを見ていた時に、「ここで働きたい!」と直感で感じたサロンがありました。
そこが当時ホノルル中心地にあった「ネイルサロンKOKO」です。(現在は閉店)
当時はスクール生を受けていないタイミングだったので、施術予約をしてお客さんとしてサロンに行きました。
その時にスタッフの方にどうやってここで働いているかを聞くと、皆さん結婚や国籍で滞在ビザを持っている方ばかりで、私みたいな日本から来た日本人がアメリカでビザを取る事は難しい事に気付きました。
ハワイ店のスタッフの方にも「日本の技術は良いから、初めから海外で仕事をすると日本に戻った時に働きにくくなる。」と聞き、どうせならちゃんとやりたいし、まずは日本のサロンで働こう、と思い帰国しました。


▼日本でのネイリストとしての仕事はいかがでしたか?
好きなデザイン・高級な雰囲気の大阪のネイルサロンで2年ほど働きました。
その後違うネイルサロンに転職した時、ふと読んでいたネイル雑誌の中で「ネイルサロンKOKO大阪店」の求人記事が。
私がハワイのお店に行った2年前はハワイとオーストラリアしかなかったのですが、日本にも上陸していた事を知り、海外渡航へもしかしたら可能性が広がるかもしれない、と思い面接を受け入社しました。
ネイルサロンKOKO大阪店ではマネージャーを勤めましたが、やはりどんなに海外に行きたい気持ちが強くてもハワイや海外のお店で働くには滞在ビザがないと難しいようでした。
そんなこんなで日本での仕事が充実しすぎて、海外に行くことをすっかり忘れ、ワーホリに行くタイミングも逃してしまっていました。
ネイルのお客様が沢山ついて下さっているし、仕事や生活を捨てて海外に行く勇気も出ず、日本で仕事をしながら海外旅行に行く生活もいいかな、とも考えていました。
同時に、独立も考え、ネイルサロンKOKOを退職しました。
フリーランスになってからは出張ネイルの需要が多かったので出張ネイル中心に、サロンができるマンションを探す日々でした。


▼独立された後、上海に渡られたきっかけは?
ある日食事の場でネイルサロンKOKOオーナーの柏木ココさんとご一緒する機会がありました。
ちょっとした会話の中で「上海のサロンでネイリスト・講師ができる人を探しているんだけど、泰代ちゃん、ずっと海外に行きたいと言っていたよね?どう?」と突然言われて、急な話だしフランクな食事の場でもあったので考えておきます~くらいにその時は流していました。
翌日、ココさんから「考えてくれた?」と電話がかかってきて、東京でそのサロンの社長と引き合わせたい、と言われ、まあ話を聞いてから考えよう、と誘われるまま東京に行きました。
7割くらいの気持ちで断ろうと思っていましたが、勢い負けしてしまい、なんとその場で行くと言ってしまいました。
言ってしまったものの、今更やめたいとは言えないし・・と悩みましたがずっと夢見ていた海外移住。
中国本土にも行った事がなく、正直上海、と言われてもピンと来なかったですが、この時32歳だったので海外に飛び出す最後のチャンスかな、と思い決断しました。
東京での話から3ヶ月で上海に引っ越し。
事前見学にも行かぬままのこれが私の中国本土初上陸となりました。


▼渡航してからの生活はいかがでしたか?
渡航前から上海在住者のブログを読んだり、台湾・香港に行ったことはあったのでなんとなくイメージはしていましたが、思っていたより住みやすいな、と思いました。
サロンは日系まつ毛エクステサロン。
アイリストの日本人も10人ほど渡航していましたがネイルは私だけ。
会社もネイル事業は初めてとの事でネイルコーナーをイチから作ることから始めました。
初めはアウェイ感もあり、いつ帰ろうかな?今ならまだ日本での仕事に戻れるかな・・など日本に帰国することも真剣に考えていました。
帰国を踏みとどまれたのは上海で出来たプライベートで仲良くしていた日本人の存在。

日本では知り合わないような人と会う事も出来、プライベートは楽しい時期だったのでもう少しいようかな、と思い、気が付けば今に至ります。


▼上海サロンでのお仕事はどのような事をされていましたか?
ネイル部門の主軸となって仕事をしていました。
サロンがフランチャイズ展開でどんどん広がってたので、フランチャイズオーナーやスタッフに講習をし、講習内容は私が全て考えていました。
スピード感があり、中国で仕事をすることの面白さを感じ始めた時でもあります。
サロンにはスタッフが入り、未経験のスタッフを育てたり中国人スタッフが3~4人常時いる状態でした。
講習や教育、接客の会話は全て通訳の方任せ。
高級サロンを売りにしていたのでお店には常に2名ほど通訳の方がいてお客様も安心して施術を受ける事のできる環境でした。
結果、この会社では7年勤めていました。

▼退職されてからはどうされていますか?
現在はフリーランスとしてシェアサロンでのサロンワーク、現地のスクール講師をしています。
ワークビザを再度自力で取得する必要があり、中国語が出来るとポイント上有利な為、レッスンに通い語学の勉強を7年目にして始めました。
中国語検定(HSK中国語検定)を受け基準レベルに達したので、専門業者を通して2019年年末にワークビザを取得しました。
ブログをスタートさせた影響もあって、サロンで勤めていた時とは違い在住日本人の方から多くご予約頂いています。
日本人のお客様は母国語同士では話せる楽しさがありますね。


▼中国のネイル状況はいかがですか?
どんどんネイリストのレベルが上がってきています。
習得が早くスピード感がある事がこの国のすごい所。
今はオンラインで日本の技術も学べるので更に伸びてくると思います。
技術・接客は良くなってきているので、私はこれから「サロンの衛生管理・整理整頓」について伝えていきたいです。
フランチャイズ店教育を担当していた時、什器や家具などもオーダーメイドで作っていたこともあり、動きやすい収納方法、動線のアドバイスが出来ると思います。
サロン環境を良くするアドバイザーですね。


▼中国での現在の生活はいかがですか?
私は合っていると思うし、住みやすいです。
お客様や人と話す時もハッキリしていて分かりやすく、会話の展開が早い方が多いので楽しいですね。
女性が強くて結婚や子育てでライフワークが変わっても自分を持っている人が多く、意見をはっきり言える人が多いです。
日々驚く事も多いのですが楽しく暮らしています。

▼ありがとうございました!


衣笠泰代さん(Yasuyo Kinugaza)

Instagram https://instagram.com/yasuyokinugasa

blog https://ameblo.jp/yosuyasaganuki/


【インタビュアーより】

10代の頃から海外渡航を目指されていた事から上海渡航に至るまでとてもドラマチックなお話でした。

各場所でお客様や会社から信頼され、キャリアを積み上げられた事がお人柄やお話の内容からとても伝わりました。

フリーランスでの更なるご活躍、楽しみにしております!


interviewer
久賀田有紀 Yuki Kugata
一般社団法人 海外ネイル協会 代表理事・ネイルサロンオーナー
教員在職中にネイルスクールに通い2009年ネイリストに転職。
2015年より1年間パリにてネイリストとして活動。


 

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