インタビュー

interview15 マレーシアでトータルビューティサロン・スクールを営むネイリスト

マレーシア・クアラルンプールでトータルビューティサロン・アカデミーYU Academie et salonを営む中島由紀子さんにお話を伺いました。
23歳で福岡でサロン開業し、結婚を機に海外に拠点を移されたユキコさん。
ライフステージが変わる中でのお仕事の切り開き方についてもお話を頂きました。


▼ネイリストを目指されたきっかけを教えて下さい。
元々はヘアメイクを目指して専門学校に通っていて、学生の頃からプロの先生のアシスタントとして現場にも同行していました。
とても忙しく、心も身体も疲弊してしまっていた時に「人を癒す仕事に就きたい」と思うきっかけがあり、ヘアメイクの他にもエステ・脱毛・アロマ・ネイルの資格を在学中に取得しました。
どれが一番自分に合うかなと考えていた時に先生に声をかけてもらい、ネイルサロンを手伝う事に。
これがネイリストとして進み始めたきっかけです。
ネイリストとして働き始めた20歳の頃から週の半分は先生のサロンで働き、半分は自分でサロンを始めていました。
その後23歳で独立し福岡でネイルサロンを開業。
2年後には認定講師の資格も取り、スクール事業もスタートさせました。


▼海外に行かれたきっかけはなんですか?

福岡で生まれ育ち、仕事もずっと福岡で、海外には遊びにいけたらいいな~くらいの気持ちでした。
海外移住は当時付き合っていた彼(現在の夫)がシンガポールに住むことになったことがきっかけで、直感で「シンガポールについていこう!」と決断しました。
移住を決断した後は、スクールの入学受付をストップし、1年かけて在校生の方に1級取得して卒業してもらうよう指導に集中し、無事全員卒業して閉めました。
サロンは売却しました。今思えばサロンは遠隔でも経営できたかな・・と少し後悔もしていますがタイミングでしたね。


▼シンガポールに行かれてからの生活を教えて下さい。
何もなく、ゼロからまっさらな状態。
結婚しての渡航だしすぐ働けるだろうと何も調べず言ったら、まずワークビザがないと働くこともできない事を知りました。
英語も全く話せない状態だったので、どこにいけば手続きができるのかも分からず、色々な方に協力してもらい、1年かけて会社を設立しました。
日本ではバリバリと自分の思う通りに働いていたので、働けない苦しさ、キャリアを失って無力になった時期でもありました。
会社を設立し、現地の人と共同経営で一等地にネイルサロンをオープンしようとしましたが、トラブルが起きオープン前にやめる事に。
語学学校に毎日通って英語を習得し、結局サロンを持たずにフリーランスとして活動していました。
フリーランスで1年ほど働いた後に夫の仕事の関係でマレーシアに引っ越す事になりました。


▼マレーシアに移られてはいかがでしたか?
シンガポールで折角築いたのにまたマレーシアに行ってゼロになってしまいました。
その頃、第一子を身籠ったタイミングでもあり、日本に帰国しました。
帰国し、スクールも福岡で再開し、このまま日本で子育てをしながら仕事をしようかな、と考えていた所、家族の事情でマレーシアに戻ることになりました。
今まで自分のやりたい事を優先する人生で送ってきたけど、これからは家族や子供の事を軸に生きていこうと思った転機でした。
マレーシアに戻ってからは現地のネイルサロンで週2回ほど講師をしたり、日系のスクールで1年ほど働いていました。
講師としての仕事が中心でお客様のネイルをする事が減り、腕が鈍ることが不安でした。
自分でもサロンワークやスクールをやりたいなと思い始めていた時に、現在のビジネスパートナーでもある日系美容室を営む美容師とのご縁があり、現在のサロンをスタートさせました。


▼サロンはいかがですか?
美容室の一角を借りてネイル事業ををスタートさせましたが有難いことにすぐに満席になり1年後に隣の敷地にネイル・アイラッシュ・エステのトータルビューティサロンYU Academie et salonをオープンさせました。
現在はスクールも併設しています。
スタッフは私と現地スタッフ3名。
オープンする際に福岡の時のスタッフを呼んで連れてきましたが4年経った昨年、帰国することになり、現在はエステのスタッフが日本でスタンバイしている状態です。(コロナの影響のため)
スタッフや生徒とのコミュニケーションは英語でしています。
日常会話とネイルを教える英語はまた違うので初めは戸惑いましたが、今は問題なく技術を伝えられているとは思います。
サロンは有難いことにいつも満席です。
客層は在住日本人50%、ローカル在住者50%で価格はローカル価格の3~5倍で日本と値段はほぼ変えずに対応しています。
現地スタッフ施術も1.5倍程の料金を頂いていて日系サロンと日本の商材を扱っていることに信頼を置いてご来店下さっています。


▼現地のネイル技術レベルはいかがですか?
正直、日本人のレベルが一番高いと思っていましたが、マレーシアのネイリストの伸び代は大いにあると思います。
コピーをすることが怖いくらいにうまく、一度私が技術を見せたりYOUTUBEの動画を見て、すぐキャッチアップして出来るようになります。
日本で流行っている「痛ネイル」の真似も本当に上手です。
ただ日本のように抜け感、おしゃれ感、など全体的なバランス感覚はまだ乏しいようにも感じます。
技術力はとても上がっていますが、爪育てたりダメージさせないネイルができるネイリストがまだまだ少ないので、その点に重きを置いてスクールで伝えています。
スクールにはプロネイリストも学びに来ています。
現状を知るためにマレーシアの一番大きいネイルスクールに3ヶ月通ったのですが、「なぜジェルは固まるのか?」など理論から教えていない事が多く、そいうったことを私はスクールで伝えています。


▼ユキコさんが今後やりたい事は何ですか?
夢はこの国の経済発展とネイリストの社会的地位を上げることです。
マレーシアではネイリストの社会的地位がすごく低いです。
物価自体は上がってきているのですが、美容サービスはアイラッシュで¥1,500、ネイルで¥3,000前後と日本と比べるとまだまだ低く、そのため従業員の給与も低い現状です。

私のサロンはローカル平均より高いお給料を出していますが、その分「自分たちも常に綺麗でいようね。」とスタッフに伝えています。
しっかり稼いで自分の身も整えることで、社会的に地位も上がり、次の世代からも憧れられる職業になると思います。ネイルやアイラッシュの技術を通して自立できる女性をどんどん育てていきたいです。
マレーシア自体は経済的にも成長していて、男性と同じように働く女性が増えています。
むしろ男性とフェアでいるという意識は日本より強いかもしれません。
何が起きてもフェアでいれる環境を作り、仕事を持って依存せずに生きる自立した女性を育てていくことが私は好きですね。
ローカルだけでなく、駐在帯同で住んでいる日本人女性にもネイル技術を教える事もあります。
今まで専業主婦だった人もネイル技術を学んだ事をきっかけに、帰国してネイリストになった方もいて自立のきっかけになったと思うと嬉しいです。


▼海外で活躍したい日本のネイリストさんにアドバイスはありますか?
マレーシアは年々ビザを取る事が難しくなっています。
サロンワークのみではなく技術を教える事ができる講師レベルじゃないと就労は厳しいかなと思います。
語学力は話せるに越したことはありませんが、海外が好きという気持ちがあれば多少自信がなくても大丈夫だと思います。
実は今年、日本でも会社を再度設立し、マレーシアと日本の架け橋となるべく事業を考えています。
いずれはマレーシアと日本のネイリストが交換して行き来できるサロンも考えていますが、今はオンライン事業からスタートします。
日本のネイリストさん向けに教育事業や海外商材販売を考えています。
渡航したばかりの頃はキャリアを失って、認定講師の同期の活躍をみて取り残された感じもありましたが引き換えに海外に来て得たものは大きいと思っています。
ネイルが好き、海外で働きたいという思いがあれば恐れず一度出てみることをおすすめします。
頑張ってください!


YU Academie et salon オーナー

中島由紀子さん(Yukiko Nakashima)

Instagram https://www.instagram.com/yuki.yunail/

サロンInstagram https://www.instagram.com/yuacademiesalon/

 


【インタビュアーより】

優しくて包容力のある、リーダー・教育者にピッタリな方でした。

自身も家庭を持って子育てと両立させている経験もあり、女性の自立支援に対しての考えもとても勉強になりました。

日本でのお仕事の展開も楽しみにしております!


interviewer

久賀田有紀 Yuki Kugata
一般社団法人 海外ネイル協会 代表理事・ネイルサロンオーナー
教員在職中にネイルスクールに通い2009年ネイリストに転職。
2015年より1年間パリにてネイリストとして活動。

 


 

 

 


 

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