インタビュー

interview11 シンガポールの高級サロンで勤めるマネージャ兼ネイリスト

 

シンガポールの高級日系サロン「BRANCHÉ HAIR&NAIL」でマネージャーとして勤める浅井小帆里さん。
ネイリストを目指したきっかけ、海外への夢、シンガポール店立ち上げ、そしてネイル事業を現地で牽引し、現在も着実にキャリアを積むお話を伺いました。


ネイリストを志したきっかけを教えて下さい。
元々はデザイナー志望でした。
ネイリストさんの話をたまたま聞いた父と兄から「ネイリストの道に進めば?」と勧められたことがきっかけで、興味を持ち始めました。

高校は進学校でしたが進路指導相談の際、担任の先生に「合っているんじゃない?」と背中を押してもらい、高校卒業後にネイルスクールへ。
スクールはサロンと併設していて、見学に行った時が初めてのネイルサロン。
「ネイルサロンって何するんですか~?」くらいの気持ちで行き、その時に先生が一本スカルプを付けてくれてすごく感動しました。
そこからは好奇心のみで夢中になり、ほぼ毎日通って半年でスクールを卒業しました。
元々ネイルに対して期待や理想がない事も今思えば良かったですね。
職人的な感覚で今もずっと仕事をしています。

サホリさんのネイルアート


スクール卒業後はどうされましたか?
卒業後は自由に過ごしたかったので自分でアトリエを作ってネイルの仕事をしていました。
24歳の時に友人の紹介で現在所属している「ブランシェグループ」に入社。
海外に行こうと考えていたのでバイトで入りましたが、ロンドンのワーキングホリデービザが外れてしまい、どうしようかなと思っていた時、今度は会社からアメリカ出店の話が。
アメリカ行きを志願すると、希望するのであれば社員にならないと、と言われバイトから正社員に切り替えました。
結局アメリカ出店の話はなくなってしまいましたが、ブランシェに正社員として入った事で、ネイリスト一本での人生を歩み始めることができました。
日本では5年働き、店長も務めました。
サロンワークの他に会社のデザインチームでデザインのカタログも作り、会社の中でキャリアを積むことに専念していました。

デザインチームでの撮影


海外へ行くためにどのように動かれましたか?
アメリカ出店がなくなった後も海外へ行きたい気持ちはずっと残っていました。
初めは単身で海外に行く事を考えていましたが、私みたいな自由人が単体でキャリアもなく海外に行くと不利な事が多く、そもそもビザさえも申請できないという現実を知りました。
会社から行きたいと思っても、結果を出さないと会長の目にも止まらないし、筋を通したいと思い、三年で全店ナンバーワンになると目標を立て、二年で達成しました。
アメリカ出店プロジェクトの時は私はバイトから入ったので順番は一番最後。
誰よりも行きたい気持ちは強いはずなのにキャリアを付けないと夢は叶えられないんだ、と会社組織・社会人としての学びになりました。


シンガポールへ行かれたきっかけは?

シンガポール出店の話が出た時、他の海外志望のネイリストたちは結婚などで環境が変わっていて、海外志願者は私だけになっていました。

行った事もない国で、美容室との出店でネイルセクションは1人での対応になるけど、挑戦してみたいと思い決断しました。

たまたまTVでシンガポールを旅する番組を見て「今年はシンガポールに旅行に行こう!」と思っていたタイミングでもありました。

話が出てから1年弱程で美容師チームと一緒にシンガポールへ転勤。
準備期間の1ケ月は店舗スタッフでセブ島に語学留学をし、2015年3月にシンガポール店がオープンしました。
ネイリストは私一人だったので探り探りの準備と営業。

売り出すデザインのコンセプトは試行錯誤しながら作り上げ、結果的にオリジナリティのある個性的なデザインを支持してもらえるようになりました。

現在は日本からスタッフが入り、ネイリスト2人体制。

ラグジュアリーな高級感のあるサロンで営業している事もあり、平均単価はハンドで約2~3万ほどです。
今はマネージャー指名の場合は¥3,000程の指名料をもらい、オープンからも価格は一切下げずに営業しています。


シンガポールでの仕事・生活はいかがですか?
日々お客様と接客している中で視野がとても広がります。
他民族国家なのでアジア・欧米・シンガポールの人など色んな意見を聞く事ができる事は人間的成長として大きいですし、女性としての生き方も「自分の人生」としての生き方をされている方が多く、とても勉強になります。
日本のネイル技術に関しては想像以上に浸透していて信頼は大きく、「Japanese nail」と検索して来店下さる方も多いです。
生活は住みやすいですね。
アジアの中でも先進国の強みで日本食系の買い物にも困らないし、天災もなく、生きていて安心感があります。
物価、家賃などの生活コストが高く、収入や仕事がないと住めない国。
よって住んでいる人もきちんとした人が多いように感じます。
NYへの憧れと目標は今も変わらないですが、この情勢なので(取材時2020年4月)全てはタイミングだと感じています。

雑誌掲載


会社(チーム)の一員で良かったなと思う事はありますか?
まず技術のスピード感や方法は、フリーでやっていた時に比べるとがらっと変わりました。
サロンワークでしか学べない事も多く、それまでの間、なんて無駄な動きをしていたんだ、と痛感しました。
会社は私のNYへの夢もずっと気にかけて応援してくれていて、フリーで活動するよりも日々パワーアップできる環境があり有難いなと感じます。

長年の夢であるNYへも「浅井ならできる」と上司に期待されるのもとても嬉しいです。

しかしわたし一人で乗り込んでいくというよりかは、NYチームとして確実な方法で挑戦できる日が来るのを楽しみにしています。

私の海外経験を生かし、後輩や会社、日本に対して何らかの刺激を与えれるようなネイリストになれたらいいなと思います。

社内外問わず、日本のネイリストさんは海外に来てほしいです。 

サホリさんのデザインセンスから作り出される唯一無二のアート


これから海外に出たい日本のネイリストさんへアドバイスお願いします!
シンガポールに関しては、所得も高く、高いレベルを求められる事がほとんどなので厳しい事を言いますが「なんとなく」も気持ちではやっていけないと思います。
アウェイの中で自分がどう生きていくかを真剣に考えないと自分自身が迷ってしまいます。
海外ではお客様から「あなたは何ができるの?何が得意?」と聞かれる事が多いので売れるネイリストになるためには技術なり接客なり、自分のアピールポイントを持つことがとても大事です。
「語学がなくても技術でものを言わせる。」これができるのはほんの一握りの人だと思っていて、やはり語学力は大事です。
高単価でのサービスを提供する上で、お客様を満足させる説明、かゆい所に手が届く接客が求められます。
とはいえ、私以外の美容師スタッフは語学力マイナスからのスタートでしたが今はみんな英語で接客しているし、追い込まれると話せるようになると思います!頑張って下さい!


ブランシェ シンガポール店 マネージャー 浅井小帆里さん

SALON HP  http://www.branche.sg

Instagram http://www.instagram.com/branche.nailsg
ameblo https://ameblo.jp/safori/【Life of SAFORI in Singapore】


【インタビュアーより】

チームの中で個性を発揮しながら、信頼とキャリアを積み海外への夢を叶えた素敵なお話を聞くことができました。

真面目で人当りが良く、努力家なお人柄が伝わり、周りの方から好かれる人気ネイリストさんな事にも納得です。

更なる夢へも陰ながら応援しております!


interviewer 

久賀田有紀 Yuki Kugata
一般社団法人 海外ネイル協会 代表理事・ネイルサロンオーナー
教員在職中にネイルスクールに通い2009年ネイリストに転職。
2015年より1年間パリにてネイリストとして活動。


 

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